2024.12.8

まず、日本で最初の女性工学士は、折原(瀧浦)さだ氏。昭和4年(1929)女高師理科卒で、東工大(今の東京科学大学)の染料化学科委託生となり、工学士取得の後、女高師家事科の専任教官となり被服材料・被服整理に関する授業を担当しました。折原氏は桜蔭会の評議員・主事も務め、桜蔭会で行なった国産染料に関する実験や調査の委員長も引き受けていました。

そして、今度は工学博士ですが、桜蔭会員最初の工博は菅野信子氏(昭和24年物理卒)と言われており、昭和36年東京大学から取得、学位論文は「空洞共振器の共振周波数安定化に関する研究」です。翌年には昭和14年家事科卒の林雅子氏が東大から「染料の染着状態に関する研究―繊維相に染着して居る染料の分子の状態について」で工博取得、と続きます。桜蔭会関係の資料だけでもあと6人の先輩方が工博を取得していらっしゃいます。

女高師は大学ではなく学士号を取るには違う大学に行くしかなかったことがあり、卒業してからいろいろな大学に本科生として入学しています。黒田チカ氏(東北帝国大学)、湯浅年子氏(東京文理科大学)など多数。桜蔭会は大学昇格運動を、大正末ごろから何度も何度も盛り上げてきましたが、実りませんでした。

また大学院も同様で、戦後新制大学として出発したので旧制大学にあった大学院は無く、桜蔭会は早速大学院設置運動に着手していました。その間、家事科・家政学部卒業生が、工学博士ばかりでなく、医学博士、農学博士等、女高師・お茶大に無い専門分野で博士号を取っていることに注目したいです。これらは桜蔭会会報に「われらの中の博士たち」として会員の業績を連載している記事として載っています。学位論文名とともに白黒の写真も載っていて、みな凛とした素敵な表情です。

こうしたことについて、まだまだお話したいことはありますが、またの機会に。

桜蔭会 会長 髙﨑みどり