2024.6.22

さて、桜蔭女学校設立に際し、桜蔭会はどのように女子教育の意味を捉えていたのでしょうか?1924年の始業式に際して、桜蔭女学校初代校長先生のお考えの聞き書きとして(初代校長先生はそれまでのお疲れがたまってしまわれたのか、御具合が悪くて始業式にはお出になれなかったようなのです)、校長先生のおことばを伝えている記事(桜蔭会会報73号)を引用しますと、まだ校舎設備は整っていないが、それは問題ではない、と前おきして

「人々を導くにあれば、ただここに楽しみを見出し、未来ある婦人を導き、この生徒の中から如何ばかり有為の人物の出ずるやも知れず、又、いずれも母として如何なる偉人を育つるやも、はかり知られず、この尊き生徒を導きゆかるる楽しみは、何ものにも比ぶべき事でないと、快く晴れやかに皆々授業をいたしております。」

と述べていらっしゃいます。後半こそ、「母として」と、「賢母」めいた言葉もありますが、前半の「未来ある婦人を導き、この生徒の中から如何ばかり有為の人物の出ずるやも知れず、」と、生徒たちの将来への見通しに重きを置いていること、そして授業は始まったばかりですのに、「この尊き生徒を導きゆかるる楽しみは、何ものにも比ぶべき事でないと、快く晴れやかに皆々授業をいたしております。」という、教員のかたがた、そしてそうした先生方の授業を受ける生徒さんたちの在り方がこの日から100年、桜蔭学園においては、日々綿々と続いてきたのだと、感慨深く思います。つまり、100年のあいだ、教育する喜び、教育を受ける喜びを桜蔭会が支えてきたのだと思うと、誇らしい気持ちになりますね。

そして、今だったら少しばかりひっかかるかな、と思われる先程の「いずれも母として如何なる偉人を育つるやも、はかり知られず」という、「賢母」概念ですが、ときには「軍国の母」などと極端に振れながらも、100年の間には人々の受け止め方が徐々に変わって、決して“女子教育”の、いや、教育の目指すものではないと感じられるようになってきています。特に最近では、この、非寛容な度量の狭い社会で、母としてあらねばならないことの生きづらさ、母であることの責任の重さと孤立感を吐き出すことに対して、少しずつ社会からの理解がなされていっている気がします。社会も変わっているのですね。

また、話は少しそれますが、この過去のものとなったかに見える「良妻賢母」というスローガンは、昨今の「リケジョ」を、官民一体となって、急にもてはやす風潮と表裏一体、つながっています。明治時代の勅諭に、自然科学は華族の女子教育の本分ではないので、こうした教育は控えるように、という内容が記してあった、と科学史を専門とする古川安(やす)さんは指摘されています(注)。華族女学校では、ということなのでしょうが、影響はおおきかったでしょう。自然科学を女性から遠ざけることが、社会にとっていかにマイナスであるかにやっと気づいて慌てているのが“リケジョ”ブームの裏側でしょうか。

ともかく女性の社会参加を良妻賢母の役割に限定しようとすることが長く続きました。いわゆる女子教育は時代の要請にこたえ、あるいは時代の波に翻弄され、今はそのことばそのもの、「女子教育」ということばそのものは死語のようになっておりますが、「女子」を取った「教育」の重要性は増すばかりです。たとえば、ジェンダーギャップをどう克服していくか、多様性という観点が、気候変動などの地球的課題にどうかかわるのか、戦争や災害における弱者の可視化・救済はどうしたら可能になるのか、などなど、大きな課題から、進路や人間関係や医療・健康・生殖など身の回りのことまで、男女を問わず結局自分で決定して、行動していくしかないことが沢山あります。

与えられた狭い教育理念にもとづく教育では、自己決定力は育たないわけで、教育というものが、いかに個人個人に力を与え、想像力や知的好奇心を養い、いかに、異なる立場の者同士の共通理解の土台をつくるものであるかを痛感する場面も多くなっているのです。

出発点は国家の要請にこたえる「女子教育」を掲げたかもしれませんが、100年の間、桜蔭学園は、楽しみを以ってお教えになる先生方と、その愛情を素直に受け取って、成長してゆく生徒さんとの幸せな関係性の中で、女性ということを特に意識することなく、人として育ちゆく方向性を自然にとってきたのだと思っています。

お茶大で受けた教育を良きものとして、母校に感謝し続ける気持ちを持ったわれわれ桜蔭会は、その気持ちや持てる資源を惜しみなく桜蔭学園創立、そしてその後の教育に注ぎました。桜蔭学園で学んだ方々のさまざまな活躍の様子を知り、我々の先輩たちが願ったことがこれ以上ないくらいに実現していることを喜んでいます。同時に生みの親の方もしっかりしなくちゃと思います(現にしっかりしています)。

注:古川安『津田梅子―科学への道、大学の夢』(朝日新聞2022・8・28記事「1920s↔2020s 百年前の世界から 4」より

桜蔭会 会長 髙﨑みどり